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モーツァルト・ヴァイオリンソナタ連続演奏会 vol.1 (2003年3月29日)


前日昼間のリハーサルはマリンホールのリハーサル室で行われた。ご覧のようにふたりの配置関係はいつものとおり。


前日夜のマリンホールでのリハーサル風景。東京からかけつけてくれた調律師の水島さんのアドヴァイスにより配置関係を逆転。最初、清水さん曰く、「わあ、ここで弾くとまるで初見で弾いてるみたい」。


当日朝からの水島さんの調律は入念を極める。ちょっとのぞかせてもらったが、わかったのは、機械としてのピアノを本物の楽器にするには調整箇所が無限にあるということ。うむ、なるほど。


本番のスナップ。衣装の色合いもばっちり。清水さんの動きは昨年の今井信子とのデュオより少々少なめ。
 今回のモーツァルト、ヴァイオリン・ソナタ連続演奏会の企画を聞いたときから、このコンサートを心待ちにしていたのである。もちろん清水まゆみという、ヴァイオリニストの存在なくしてはこの企画の芽も出るはずもないのであるが、その演奏を聴いてモーツアルトのヴァイオリン・ソナタをまとめて聴くコンサートを発想するとは、なかなかできることではない。仲間内をほめてもしょうがないが、これはアプローズ453代表の田村のなかなかに鋭い感性と豊かな経験、柔軟な発想から生まれた名企画である。廻由美子さんという願ってもないピアノの共演者を得て、例えとしては失礼かもしれないが、これはもう鬼に金棒である。
 モーツァルトのヴァイオリン・ソナタについて、タイムリーなニュースがあった。ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんが、横須賀市の第1号の名誉市民表彰を受けたその副賞としてオーディオコンポーネントを希望し、ゆっくり音楽を聴きたいと話していた。それだけでも、ほほえましく好感を覚える話なのに、そのオーディオ装置で聴きたいと話していたのがこのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタであったのだ。ノーベル賞受賞の科学者の込み入った頭脳を解きほぐしてくれる音楽がモーツァルトのしかもこのヴァイオリン・ソナタであったとは、なにやら、わが意を得たりである。
 ところで、いま、おまえの好きな曲を10曲挙げろ、といわれたら、その中に果たしてモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのどの曲が入るだろうか。10曲と限定されると、それはちょっと難しいかもしれない。1つ1つの曲はそれほどインパクトの強い曲ではない、だからこそ長く付き合えるとも言えるのだろう。最初に聴いたのは20歳の頃だったと思う、シェリング(Vn)とヘブラー(P)のハ長調K.296、変ロ長調K.378演奏のレコードなど、よく聴いたものだった。グリュミオー(Vn)ワルター・クリーン(P)、パールマン(Vn)アシュケナージ(P)、ボスコフスキー(Vn)リリー・クラウス(P)、ゴールドベルク(Vn)ラドー・ルプー(P)、近いところでは西崎崇子(Vn)イエネー・ヤンドー(P)などなど、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタのCDを見るとなんとなく買いたくなる衝動に駆られたものである。
 そう、実に楽しみに待っていたコンサートであった。
 前日、マリンホールでは他のコンサートがあり、終了後の午後9時からホール・リハーサルが始まった。午後9時30分、マリンホールに入ると、リハーサルはもう始まっていた、ホールでの楽器の響きを確かめるのが目的のようだ。ステージ上のヴァイオリンの立ち位置が問題になっていた。清水さんが何度か位置を変えながら、ヴァイオリンを弾くと当然のことだが位置をかえるごとに音の響きが変わる。調律の水島さんの発案でヴァイオリンがピアノの前で弾いてみたのだが、これが、ヴァイオリンとピアノの音と融合してすばらしくきれいな響きになった。田村さん曰く「華やかで楽しい音だ」と、「楽しい音だ」という表現が周りの人を楽しくする響きを持っているから言葉も不思議なものだ。
 ニ長調K.376の演奏が始まる。久しぶりに古い友人に会ったような、懐かしさと新鮮な感覚に包まれたモーツァルトが聴こえてきた。凛とした気品の漂う、揺るぎのないモーツァルトだ。芯のしっかりとしたクールでいて冷たさのない、高貴なうたに貫かれている。20年以上にわたってドイツの一流の歌劇場で培われた、これがその技術と音楽なのか。同じ、歌といってもトスカニーニがベートーヴェンのシンフォニーの中で随所に見せるイタリア的カンタービレとは明らかに違うドイツの、まさしくモーツァルトのうたが聴こえる。
 ・・などと、めぐっているうちに、不覚にも緊張感と集中力に隙ができてしまった。緩やかに睡魔に襲われてしまったのだ。寒い当日券売り場から暖かいホール内の座席について、身も心もが解けほぐれてきた頃の一瞬の隙であった。必死に眠気をこらえるのだが、清水まゆみのモーツァルトの楽興の愉悦が容赦なくその努力を崩壊させる。こうやって、凛とした清水まゆみの音楽にもかかわらずというか、それゆえにというか、襲い掛かる睡魔との壮絶な闘いのうちに1曲目が終わった。拍手の後の2曲め以降はもう大丈夫。ソナタニ長調K.306の第2楽章・・・「うわ〜ぁっ!これがピアニストだよ・・」・・ここでは、廻さんのピアノにとびっきりの音楽表現を聴いた。つかの間表れたピアノのソロが、艶やかで、陰影の深い音で心を捉える。この響きをもう少し続けられたら、どうなっていたことか、プロの仕掛けた音楽のわなにすっかり捕らわれてしまった格好だ。
 K.301のト長調をへて、プログラム最後のソナタ、名曲の誉れ高いK.378の変ロ長調のソナタが始まった。これこそ、なじみの深い曲だ。清水さんはこの曲では役どころを変えてきた。ケルビーノかスザンナから伯爵夫人になっていた。人生の機微を深め憂いを含んだ経験豊かな大人の音楽に衣替えして登場してきたのだ。しかし、どういうわけか清水さんの伯爵夫人は「フィガロ・・」の中の憂いを含んだ物静かなだけの伯爵夫人ではなく、それにプラスして華やかに人生を謳歌する伯爵夫人でもあるのだ。それでは、伯爵夫人ではなかろうが、と、おっしゃる方もおいででしょうが、そんなことはない。あれはどう考えても清水アルマヴィーヴァ伯爵夫人だったのだ。
 アンコールはこれまた20年間ハンブルク・シュターツオパーのピットで奏でていた清水さんの面目躍如の1曲、ケルビーノに戻って、アリア「自分で自分がわからない」を演奏。この役だけはスリムでかわいいメッゾでなければいけない。そんな、ケルビーノのステージ姿をほうふつとさせてくれる。まさに、水を得た魚のように歌い上げて確たる自身の音楽を表現し、第1日目を終了した。

(アプローズ453 宮崎 裕幸)



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